この記事の目次
今から考えると、受験生時代に僕はミニマリズムにはまっていたのかもしれない
ミニマリストになろうという意思を持ったのは大学4年の今現在になってからだけど、受験生の頃自分はミニマリストだったのではないか思う。
さらにそれが受験の成功につながったと感じることも多い。
ドン底の高校生時代
僕は高校1年の中頃にはクラスで下から2番目の成績を取るようになり、うつにもなって、人生を挽回する方法が見つからなかった。
毎日毎日おえつが出る程泣き崩れて、疲れ切って床に伏せ、また寝不足で無理やり学校に足を運ぶような生活がずっと続いた。
中高一貫校に高校から入学したこともあって、人間関係に悩んでいたのかもしれない。
母親が病気を抱えていて、自営業の父親の仕事はそこまで上手くいっておらず、家庭内の空気感もいいものではなかった。
さらに死恐怖症っていう状態になり、死ぬのが途方もなく怖くなって、何も手につかなくなるような状態になった。
落ちこぼれで友達もいなくて鬱ってもう人生終わりじゃないか?って思い出した。
大学受験を意識し始める
そんな中で精神科に通って薬をもらい始めた。
先生は親身に話を聞いてくれるわけじゃなかったけど、薬を飲み始めると少しだけ気が楽になった。
それと同時に将来のことを考え始めた。
僕が中学1年の頃から母親が脳脊髄液減少症という病気で、ずっと寝込んでいる。
だから自然と病気とか医療に興味を持っていて、僕自身も病んではいたものの、大学受験をするなら医学部に入ろうと思っていた。
だけど学年最下位層の成績の僕は到底間に合わない。
ミニマリズムの始まり
とりあえず学校の授業に全くついていけていない。
そのとき、センターレベルの模試で数学は2割くらい、英語は半分、国語は3割くらいの点数しか取れていない状態だった。
普通に学校の授業やテストについて行こうとしてもどんどん引き離されるだけだと思った。
授業を聞いても全くわからないので、自分で買った超基本的な参考書をひたすら進めていくことにした。
急がば回れ。
さらに友達と遊ぶこともほとんどしない。
登下校時も一人、休み時間も一人で参考書を進めていく。
人間関係をミニマルにしていった。
さみしくなかったのか?とか聞かれることもあるけど、非常に快適な生活を送っていた。
人間関係に悩まされることもないし、勉強したいのに遊びに誘われることもない。
精神的に非常に健全になっていった。
勉強内容もミニマルに
落ちこぼれている状態から挽回するには学校の勉強を捨てないといけないと思った。
全く理解できないような先に進んだ内容の授業を無理やり聞いている暇はないと思った。
これだけ落ちこぼれていて、受験まで2年を切っていて、学校の先生に気を使って授業なんて聞いても自分が損するだけだ。
割り切って超初心者用の参考書を恥ずかしげもなく解いていく。
今になると、この参考書を最小限に絞って取り組むことがかなり重要だったと感じる。
娯楽もミニマルに
勉強をしなければいけないということもあったが、ゲームも漫画もしなかった。
テレビもほとんど見ない。
趣味はない。
娯楽をしない。
高校生らしくないのかもしれないけれど、それも心地良かった。
遊ぶのも体力を使って疲れる。
勉強以外のことをどんどんミニマルにしていった。
ミニマリズムは何を削って、何を大事にするかだから、僕は「ミニマリズム」という言葉を知らずともそれを実践していたのだった。
高校3年生での大逆転
周りから見ると修行僧のような勉強の取り組み方。
だけど高校3年生になっても、やっと学年で真ん中より少し下くらいの成績だった。
けど夏休み明けのテストで、学年で上位1割の成績を叩き出す。
正直この結果には僕自身もびっくりしたけど、やっと自分を信じてやってきたことが結果に出たという安心感もあった。
よく全く結果に表れないことに1年半も向き合ってこれたと思う。
けど、それはミニマリズムの精神、人間関係も取り組むことも最小限にしたことで心の余裕ができていたことが大きかった。
不合格
そうして偏差値的には十分に受かる可能性はあったものの、現役時の大学受験には失敗した。
神戸大学の医学部を受験したけど、緊張で全く集中できない。
これだけやったものの自分の力が出せないことは残念だった。
だけど、これまで一応成績としては伸びてきたし勉強の容量を掴んだ気がした。
後期試験で地方の医学部には合格したけど、自分の思い描いていた結果ではなかったからもう一年チャレンジすることにした。
志望校は京都大学の医学部に設定。
浪人生活スタート
浪人生活を始めるけど、宅浪か予備校か迷った。
これまでも正直ほぼ自分一人で勉強してきたと思ったし、独学に自信があった。
これまでの方法を繰り返せば、同じように成績が伸びていくと確信していた。
でも宅浪ってあんまりいい噂を聞かないので、とりあえず大手予備校に通うことに。
3ヶ月でやめて宅浪に
けど夏休みで辞めることになった。
僕は阪大の医学部のクラスに属していたけど、志望校は京大。
ずっとクラスを変えてくれと言ってたけど断固拒否されていた。
だから京大志望なのにこれ以上阪大志望者のクラスにいても仕方ないと思って、夏までで辞めることにした。
その旨を伝えると予備校の社員が「じゃあ京大クラスに変えてあげるよ」と言い放った。
あれだけクラスの変更をお願いしていたのに拒否し続けたのが、予備校を辞めると言った瞬間そんなことを言い出した。
僕は腹が立ってその場で退学届をもらって提出した。
宅浪でのミニマリズム
宅浪をしていたというと「一人で辛くなかったの?」「自分だったら絶対に病んで無理だ」と言われることが多い。
けど僕はめちゃくちゃ快適な生活を送っていた。
毎日の通学に無駄な時間を取られることがない。
人間関係に時間を奪われることもない。
自分の好きな時に休憩を取れる。
自分の好きなように勉強時間を割り当てることができる。
まさにミニマリズム。
無駄なものを削って本当に重要なところに注力する。
無駄な時間を削って、かけるべきところに時間をかける。
これが本当のミニマリズムだと思う。
勉強部屋もミニマルに
部屋には机が一つ。
そして筆記用具とそのとき使うテキストが乗っていた。
使わないテキストは自分の背後、部屋の隅っこに置いてあった。
これしかない。
今から考えると、いわゆるミニマリストみたいな部屋になっていた。
モノがないから雑念を抱えず、勉強に集中できていたのだと実感する。
1浪で大学に合格
結局、僕は京都大学を受けずに大阪大学を受けることにした。
阪大と違って、京大は国語があったので少し間に合っていなかったのと、家からより遠い場所に2日連続で試験を受けて危なげなく終わる自信がなかったのが正直なところ。
けど無事阪大に合格した。
通っていた予備校には京大に受かって見せつけたかったところだけど、僕の属していたクラスから阪大に受かったのは50人近くいる中で僕ともう1人だけだった。
まあよしとしたい。
けどあとあと友人から聞いたんだけど、やめた予備校の担任の社員は僕がやめたあとに「あの子はもう終わったね」って言ってたらしくて、一応見返せたのかなと思う。
ミニマリズム
阪大に受かったことを一応「成功」と呼ぶのであれば、僕は受験だけでなくミニマリストとしての成功体験を納めていたことになる。
だから大学4年になった今、再びミニマリストになろうと思う。
本当に大事なものだけを大切にして、本当に大事なことだけに時間を使うという生活が、今の行き詰まった僕の生活に必要だと感じている。
またこれからミニマリストになっていく過程をこのブログでも発信していこうと思う。
